brunch
 「キスって、どんな味がすると思う?」
 朝一番にそんな言葉言われるのって……どうよ。










 「ねぇ、どう思う?」
 さっきいれてやったばかりの熱いコーヒーを飲みながら、カナエは興味津々というように、テーブルの上へ身を乗り出す。
 何を言い出すんだと内心溜息をつきながら、無視をして朝食の準備を進める。
 フライパンには二つの目玉。これをもうすぐ焼き上がるトーストの上に掛ければ出来上がりだ。
 久しぶりに作った目玉焼きパン(この安易な命名には不満があるのだが、カナエが頑固にそう呼ぶため、うつってしまったのだ)に少し調子づいて、つい鼻歌を小さく口にする。
 しかしそんな安らかな時間は長くは続かず、次のカナエの言葉に思わず持っていた皿を落としそうになる。
 「それとも、したことある?」
 ガチャンと皿同士がぶつかる音がする。血液がバクバクと音を立てて逆流しているように感じた。
 どうやら割れていないと確かめると、長く溜息をついた。

 同い年のいとこは、このように時々理解不能なことを言い始める。
 二人はいつもこのように朝御飯を一緒に食べているというわけではない。
 彼らは元々別々に住んでいるのだ。
 カナエの両親は一週間の予定で海外へ旅行に行っている。
 一人残されてしまったカナエは仕方なくリョウの家へ居候することとなったのは、つい一昨日のことだ。
 そして、リョウの両親は朝早くから二人でゴルフに出かけている。
 客が来ているというのに信じられない親だ、と思いながらも、仕方なく遅めの朝御飯を作っていた、というわけだ。
 そうして先程の不可解な会話(というには実に一方的な)に戻る。

 大丈夫ー?と一応心配の声を投げかけているカナエは上目遣いにじっとこちらをみている。
 長めの睫毛が、頬に影を落としている。 
 思わず顔を赤く染める。何故こんなに恥ずかしくならなければいけないんだろう、と自問した。
 「……あ、あるよ」
 「どこで?」
 畳み掛けるように、カナエは言葉を継いだ。
 しかしその口元は明らかに馬鹿にしたような笑いを浮かべている。
 「どこでもいいだろ!」
 苦し紛れを怒りに変換するが、こいつはもう気付いているはずだ。人の心に聡いのは昔からだもの。
 「嘘だね。したことないでしょ、キス」
 そう、キスなんてしたことない。
 興味がないことはないが、したいと思ったこともない。考えなくてもそういう日はいつか来るはずだからだ。
 言い返す言葉が思いつかず、黙って出来たばかりの暖かい朝食をテーブルにのせる。
 カナエは嬉しそうに手を合わせ、丁寧に食べ始める。一滴も黄身をたらさないとでもいうように。
 そんなカナエを後目に、リョウは大きく口を開けてむさぼりついた。
 しばらく静かな時が続く。
 ふと、真剣な顔をして食べるいとこに、逆襲の言葉を思いついた。

 「そういうお前はどうなんだよ」
 「ないよ」
 拍子抜けするほどあっけらかんというカナエに少し安心をして、わざとからかうような口調をする。
 「そういうことをよくも恥ずかしげもなく言えるな」
 「経験ないくせにあることないこと得意げに言うよりいいでしょ」
 物分かりが良いように振る舞うカナエに、リョウはかちんときた。
 「お前は……!」
 日頃から溜めてきた鬱憤を一気に爆発させようと腹に力を入れようとしたときだった。
 「してみよっか」
 「んあっ!?」
 世にも間抜けな声が出た。
 今こいつは、何て言ったのだろうか。
 呆けたリョウを見て、カナエは面白そうに微笑んだ。
 その笑顔は、とても柔らかい。
 「だから、してみよっか、って言ったの」
 ゆっくりと一言ずつ発音する。
 「何を?」
 「だから、キス」
 「お前、何言って……」
 呆然と言葉を返すリョウを無視して、カナエは席を立った。
 そして防ぐ間もなく、テーブル越しにリョウの唇に己の唇を重ねる。
 柔らかく優しい感触。

 何が起きたのかわからないリョウに対し、カナエはにんまりと笑った。
 「目玉焼きパンの味」
 「……に、が」
 何が、と問おうとしたが、声が掠れて言葉にならなかった。
 それでもこのいとこには言おうとしたことがわかったようだ。
 「初めてのキスの味」
 そう言って人差し指を自分の唇に当てた。
 そこでリョウの意識が復活する。
 「お、お前っ!!な何てことをっっ!!」
 「いいじゃない、減るもんでもなし」
 「ファーストキスはなくなった!!」
 後で思い返すと相当恥ずかしい暴言だが、このとき彼は必死だった。
 「じゃあ責任取って結婚でもする?」
 「な……」
 またもやこのいとこに絶句させられる。
 「いとこ同士は結婚できるんだよ」
 いつの間にかきっちりと朝食を食べ終えていたカナエは、ごちそうさま、と言い残すと食器を残したままさっさとリビングのドアへ向かう。
 リョウはふるふると両のコブシを握りしめ立ち上がった。
 「結婚できるのは、男女のいとこだ!男同士で結婚なんかできるかっ!!」
 


 この大声がご近所中に響きわたっていたことを彼が知るのは、今日の夕方のことである。


2003.07.30

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